佐久市大沢財産区とは

〜森林に恵まれた村 大沢の人のこころざし〜

佐久市大沢財産区とは

大沢は山の村です。森林の村です。佐久市の中でも立派な森林をもっていることで有名です。大沢に住む人々はこの森林からいろいろな恵みを受けてきました。

有線放送や水道が村に引かれるとき、電話や用水、道の修理、公民館の建設など、山の木を売ったお金が、大沢村のために使われてきました。また、大水などの自然災害を防いでくれたり、四季の美しさや空気がきれいなことも森林の恵みの一つといえます。

今から250年ほど前、大沢の村では、大雨が降り続いたため、ため池がこわれ、新田部落の家や、田畑を押し流し、上町、中町、下町まで洪水の被害を受けました。
このころの大沢の山は、自然に生えた雑木林や、草の深い野原ばかりでしたが、村の人たちは、生活の糧を得るため、山からたきぎを切り、炭を焼き、堆肥や、家畜のエサをとっていました。家の屋根をふくカヤを刈ったりもしていました。長雨が降れば大水とたたかい、秋から冬にかけては、野火(山火事)も多く、山火事を恐れて暮らしていました。

明治になって、村会議員の吉岡半治氏が、将来の村の財産となるよう大沢の山にも計画的に木を植え、村の人に植林の大事さを説きましたが、反対に「山のたたりがある」とか「洪水がおこる」といって木を植えることを恐れていました。
一方、国や県は、殖産興業の政策を推進するため、山に木を植えることを奨励するようになり、結局半治氏の言う通り、植林の計画が進められることになりました。

明治13年、村の予算でカラマツの苗を買い入れ「必ず一戸一人出て、無償で植林をする。村ぐるみで協力して造林する」という決まりを作って植林を始めました。

当時、大沢村村長の阿部善蔵氏は、山の調査をして、村有地に木を植えていきました。村の予算が足りない時は、自分の財産を売って苗木の購入代に充てていました。

大正5年までには、約99万本もの木が植わり、明治36年に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会では、大沢村が林業成績優秀という表彰を受けるまでになりました。

佐久市大沢財産区とは

美しい山、きれいな水のある大沢の森林は、吉岡半治氏や初代村長の阿部善蔵氏、そして植林のために尽くした多くの村民の努力によるものです。
大沢村は、昭和29年、野沢町と合併して村ではなくなりましたが、今も木を切ったあとに植林をし、草を刈り、間伐をして、立派な木を育てる仕事を財産区の住民が引き継いでいます。今でも大沢の人々の心の中には、当時の人々のこころざしが脈々と生き続けているのです。

ソニーネットワークコミュニケーションズでは、このこころざしに共感するとともに、財産区の人達と一緒に森づくりを行っていきたいと考えています。

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